滝本農園
その後、私は個人的に滝本農園に行き先生から有機農業の考え方を教わった。先生は数十頭の健康的な豚を飼育していた。特に豚の食べ物についての研究はとても進んでいた。今思えば微生物(乳酸菌と酵母)を飼料に入れ発酵させた物を彼らに食べさせていたのである。だから豚舎はほとんど臭いがしなかった。豚が排泄したもので堆肥を造り土壌を豊かにし、野菜を育てていた。彼の奥様は八百屋さんを営んでいた。全て農園で育てていたものである。育てた有機野菜は鮮度が良く、栄養化も高く、また実に美味しく評判になっていた。毎年、滝本農園の野菜は品評会において金賞だらけのものばかりであった。余った野菜は内地に送られる。滝本農園の協同購入組織があった。後にそういう人達が日本有機農業研究会の中心メンバーになった。
それからというものは、私は乳牛にはあまり関心が持てず興農塾を去り、有機農法関連の本を読むようになり、そうした仕事に就きたいと考えていたのである。
藤本 敏夫さん
その後たまたま北海道の学校から帰省した秋の事である。朝日新聞の記事に目を通すと大きな見出しで「大地を守る会」が設立されたと書かれていた。初代の会長は三派全学連委員長であった藤本敏夫さん(1944~2002年)である。彼は1972 年にシンガー・ソングライターの加藤登紀子さんと獄中結婚をした有名人でもあった。因みに彼女が歌った「ひとり寝の子守唄」は獄中に居た彼の為に詩を書いたとされている。
朝日の記事の内容は丁寧であった。池袋の西武デパートの地下売場において北海道の生産者の有機肥料で育てたジャガイモ、ニンジン、玉ネギを即売する日時が掲載されていた。 私は初日に颯爽と出掛けて行った。目的は藤本さんにお会いし、大地を守る会をどの様な組織に育てて行くのか、お伺いしようと思ったのである。その日の私の風貌は髪は角刈りでジージャン、ジーパン姿で雪駄を履いていた。
売り場には小沢昭一さん(1929~2012年)と、永六輔さん(1933~2016年)が、野菜の説明をしながらお客様に販売をしていた。私はお二人のそれぞれのラジオ番組はよく聴いていた。
お二人共この様な文化的、社会的活動を応援する人達であった。私は初対面の藤本さんを見付け、失礼のないように丁重に挨拶をさせて貰った。すると彼は売り場の通路沿いにあったコーヒーを飲めるカウンター席に私を案内してくれた。登紀子さんは私の様子を見ながら“もしかして右翼団体の兄ちゃんでは⁉”と思って付いて来て、私の右隣りに座って私達の話をジーと聞いていたのである。藤本さんは関西訛の言葉で、一時間程私に将来の大地を守る会の構想や夢を熱く語ってくれた。それから4年が経過し、大地を守る会のステーションの女性を通してこうした「いづつワイン」とのご縁ができたのである。
(連載つづく)